2011-01-01から1年間の記事一覧

22。結論

22・結論 反日が無ければ生きていけない、国民を元気に出来ない国と付き合うのは難しい事です。外交を司る政治家が「歴史」を知らない、日本を知らない事が本当に情けない事です。 神奈川県知事にして「朝鮮学校」の補助金について国交回復時に「賠償金」…

21・日本の病巣

21・日本の病理 現代の日本、韓国の姿を見ると、日本帝国・李氏朝鮮の逆転現象が起っている気がします。明治の開国以降の日本は西欧諸国に追いつけ、追い越せと外国人を雇い、西欧のマネながら途中、日清・日露戦争と大きな血を流しながらも、着実に愛国心…

20・日韓悲劇(2)

悲劇(2) (2)日本が隣国の為に「近隣諸国条項」を作り、近隣に遠慮した歴史を自国民学生に教えなければならない教育など教育に値しないのではないかと考えます。韓国教科書を見れば「反日教育」を堂々と「正課」としてやっているのです。 日本では戦後…

20・日韓の悲劇(1)(2)

20・日韓の悲劇(1)・(2) 悲劇(1) 「韓国」、「北朝鮮」共に、日本人化した人達を独立を機に「愛国者」の育成のため「反日」のカードとして出し続けて、引っ込みがつかなく成って仕舞った上、両国に同情するふりをして「反日」カードとする日本人…

19・戦後の日韓(3)(4)・竹島・日韓条約

(3)・竹島 1952年(昭和27年)1月に「李承晩大統領」が海洋主権宣言で「李承晩ライン」を設定したが為、1953年(昭和28年)2月の日韓会談は決裂、竹島も「李ライン」内に組み込まれ、1953年(昭和28年)日本政府は漁船拿捕する「李ラ…

19.戦後の日韓(2)

(2)・「朝日新聞」の1965年(昭和40年)「特別永住者」に対する「社説」。 *「在日・朝鮮併合と言った歴史も20年・30年先を考えた場合、遠い過去の一事実以上の何物でもない。独立国家の韓国人が、何故日本国内で特別扱いをされるのか、その説明に…

関東大震災(2)

(2)日本内務省資料 「帝国内務省資料」は、東京で警察・第一師団が保護した人数は6,657名・本人申し出1,173名・自警団同行届け出3,173名、神奈川・他県合計で警察・軍が871名・本人申し出180名・自警団同行160名で「合計14,1…

19・戦後の日韓(1)

19・戦後の日韓関係 (1)・日韓条約「前・後」〜(1)・(2)・(3)・(4) 戦後の「韓国史」は自画自賛をしないと国民の指導は出来ません。日本の敗戦と同時に自らの力で教育・経済の自立を求められた中で「日本時代」の人材を登用しても、経済基…

18・関東大震災(1)

18・関東大震災と朝鮮人虐殺(6,000人)(1)・(2) (1)*「朝鮮人虐殺、6,000人説」は、1976年に「朴慶植」の「韓国独立運動の血書」の中で「6千名の虐殺」の数字が定着したものですが、日本の内務省・第一師団・警視庁・赤十字資料や、独立新聞…

17・抗日「光復軍」とは?

17・韓国光復軍 *(朝鮮総督府資料) 教科書は、「韓国光復軍は総司令官・池青天、支隊長・李範爽などを中心に、シナに駐屯していたアメリカ軍と連合し、国土の失地回復作戦の任務を担当する国内挺身隊を編成し、特殊訓練を実施し、飛行隊の編成を計画した…

16・3・1抗日運動(2)

(2)・総督府の対応、3・1運動後に朝鮮総督府は、施政に危機感を持ち、1920年に総監部調査のアンケートで民心の把握に努めようとしています。内容は下記の通り。 3・1運動後の1920年(大正9年)施政に対する感想集計 (朝鮮総督府資料) *(…

16・3・1抗日運動(1)

16・3・1独立運動(1)・(2)3・1運動を始め、韓国教科書の「抗日抵抗」の記述が酷くなるのは、「青山里大捷」同様、1976年(昭和51年)朴慶植」著作による「朝鮮3・1独立運動」の根拠のない記事からです。「韓国教科書」は〜「3・1独立…

15・抗日運動

15・韓国教科書「青山里大捷」〜抗日独立戦争 *(独立新聞及び日本間島領事館・朝鮮軍資料) 「韓国教科書」は〜「日帝は世界史でも、その類例を見いだせないほど徹底した悪辣な方法でわが民族を抑圧、収奪した。これによりわが民族は生存権まで脅威にさら…

14・朝鮮人口の推移

14・李朝から日本時代の人口推移 *(昭和国勢総覧) 人口の増減、21代「英祖」の時代の人口は730万人といわれています。100年後の大院君の1850年代は750万人、20万人の増加、1906年には980万人、1920年(大正9年)には1,8…

13・収奪政策?と比較

13・総督府収奪?政策と1920〜40年の成長。 *(朝鮮総督府資料・朝鮮・台湾国勢調査総覧)初代・寺内正毅、2代・長谷川好道、3代・斎藤実、4代・山梨半造、5代・宇垣一成、6代・南次郎、7代・小磯国昭、9代、阿部信行と日本でも一流の人達が…

「特別版」・今日の(1・20日読売新聞記事)より

読売新聞「顔」欄より、「金時鐘」さん(詩人) 「異形の日本語で詩を紡ぎ、60年余になる。在日韓国人として初めてとなる受賞の報に”これまで詩壇の「圏外」にいたのに取りこまれるような思い”にとらわれ、数日間悩んだ。 植民地下の済州島で日本語を国語…

12・(3)治山・治水

(3)・治山・治水・農工業政策 * (総督府資料) 1911年(明治44年)には、山林令・緑化計画が出され、1915年(大正4年)には鉄道・橋梁、「五万分の一」の朝鮮地図完成に伴う、治山・治水事業、1916年(大正5年)には、民事・刑事令、1…

総督施策(2)教育「ハングル」

「ハングル」も、1446年((文安3年)世宗王によりハングル庁が作られ「公布」されたのですが、政府が公文書に使用しない為、1506年には、ハングル庁が閉鎖され、ハングルは「李朝」公文書では使用される事はありませんでしたが、使用されない最大…

12・総督府政策の柱

12・総督府施策の内容と李朝遺産 *(朝鮮総督府資料) 鉱山開発は、当時の李朝が米国・英国・フランス・ドイツに依頼、山林の伐採権はロシアが独占しており、李朝の現金収入源で有ったのも事実ですが、報酬の多くは両班が搾取していました。 農民が収入・…

11・総督府施政

11・併合後の朝鮮総督府の施政 *(「1910年」(明治43年)から) 韓国での朝鮮総督府の施政は「日帝」の、七奪「国王・主権・土地・資源・国語・人命・姓名」を奪い、過酷な収奪を行い、「36年間」で朝鮮文化・朝鮮経済を壊した。教科書にも記載し…

10・(3)国内報道

10・(3)1910年(明治43年)の「読売新聞」報道。 〜「伊藤統監の韓国本位懐柔策徹せず、遂に局面を打開して併合を断行す」と有り、「読売」には「所謂懐柔策、第一次日韓協約の決果伊藤公統監となり京城に駐在し、所謂統監政治なるものを雑林の野…

10・(2)統監部時代の外信

10・(2)「統監部時代」の外信の朝鮮報道1906年(明治39年)「タイムス・ヘラルド」 〜朝鮮はロシア・中国の間で利己的な関心事と汚職・暴力沙汰にうつつを抜かし、日本人が国の政策を教え込み啓発しても朝鮮人の理解が得られない。朝鮮人は日本人…

欧米紙が伝える当時の朝鮮報道

10・欧米通信の「李氏朝鮮」報道及び日本の国内報道*全文では有りません。抜き取りで記載していますので、一方的に見えるかも判りませんが、当時の記者が同情を含めての記事を抜き出したものです。1867年(慶応3年)「ノースチャイナ・ヘラルド」 〜…

9・韓国建国準備期間?

9・韓国教科書の「建国準備期間」の内容。 *(朝鮮総督府資料から、統監時代の目賀田種太郎施政を記載)「韓国教科書」は、この時期を「近代的改革」と呼び、〜「政治面では開国年号を使用、王室と政府の事務を分離、政治の実権を担当部署内閣が持つ事によ…

訂正・・。三国干渉の記事17行目「大漢帝国」は「大韓帝国の誤りです。

日本の戦争と朝鮮の対応

8・近代日本と日清戦争李朝は独立後も、「衛正斥邪思想」「事大主義」が強く、日本が1876年(明治9年)の「日朝修好条約」での「朝鮮国は自主独立の国」に対して、清国は「朝中水陸貿易章程」で「朝鮮は久しく、封に列す」と、日本の「独立論」に対し…

日本の開国と朝鮮

7・日本の開国と朝鮮日本も、1853年(寛永6年)のぺリーの来航以来「近代国家」を目指して「不平等条約」を飲み近代化への、第一歩を踏み出すことになり、1869年(明治2年)には版籍奉還後、国家としての基本の、租税国家の成立・徴兵制度・地租改…

日本近世への胎動

6・ 日本近世社会えの胎動と朝鮮通信使。 世界史でも18世紀末までは、殆ど国家と呼べるものもなく、多くは「君主」の国であり、国は君主の権利・財産でした。中国では女真族「清国」、朝鮮では20代景宗、日本では徳川幕府、吉宗の時代迄は西欧の歴史と…

5・李氏朝鮮の誕生

5・朝鮮半島の対倭侵攻と李朝誕生中世から、近世の当初まで朝鮮半島との交流は、秀吉の「朝鮮遠征」や、大陸・半島連合の対島・壱岐・九州襲撃と「友好」などとは程遠いもので省きます。 世界史年表から見ると、936年(承平時代)高麗王朝が朝鮮統一しま…

4・中世・政治の混乱期

4・中世紀政治の混乱期貴族政治から武家支配の武家政治が、1180年(治承)ごろから始まったとされます。同時に国内の混乱も加わり、日本の歴史が大陸・朝鮮との大きな違いが出るのも、この時期からです。世界がまだ国家統一の形がない時代、日本も豪族…