10・(3)国内報道

10・(3)1910年(明治43年)の「読売新聞」報道。

 〜「伊藤統監の韓国本位懐柔策徹せず、遂に局面を打開して併合を断行す」と有り、「読売」には「所謂懐柔策、第一次日韓協約の決果伊藤公統監となり京城に駐在し、所謂統監政治なるものを雑林の野に施行するや其唯一政策として造次にも之に戻らざるを勤めたるは、即ち世に伝ふる懐柔策なりき、其要旨たる、行政改善、韓国助長、韓民愛撫の三者にして行政改善に関する意趣は日韓協約の規定により、当然帝国政府の施行せざる可からざるものに属すと雖、韓国政府の腐敗は其の来る処遠く、急虚に之を改善するとするは容易の業に有らず、これも法令官制を改め、単純に表面上の改革を履行するには、何等の困難をみることなしと雖も、其の如きは決して施政改善の目的を達する所為にあらざるを似て、漸次考慮研究を重ね、合宣の処置を取るべしと称し、韓国助長に就きては先ず経済上の救済策を講じ、似って韓国自身をして今後益々増加すべき政費の負担を為さしめ、成る可く之をわが国民に課せざるを肝要なりとし、その手段として、第一農工業の改善良達を図り、韓国人民の資力を培養すべしと唱え、韓民愛撫に対して韓国に在住せる我が国民の暴挙を指摘し、将来このような韓国人を侮辱する如きは之を避け、以って宗主国民たるの本分に違はざるを期すべく、若し不良の徒有れば、容赦なく之を取り締まるべしと言うにあり即ち伊藤統監は極力韓国の死守的能力を発展せしむるを以ってその対策の主眼と為し、韓国皇帝及びその政府をして、一日も速やかに日本に対する疑惑を去り、深く統監政治を信頼せしめに努めた、故に一面より之を見れば、彼は統監政治なるものは日本本意に有らずして、韓国本位に政治を進めるにある」。

伊藤公の決断「読売記事」報道。

〜「由来韓国は事大の思想上下に侵染す、先には清国に依り、一丹清国の勢力喪失するや、さらに転じて他の国に依んとし、曾て一度も自立の覚悟を決したることなし、韓国既に自ら立つ能はず、左右支持を求めて動揺極まりなし、韓人自ら起たず、自己の力にて独立せりと思うがは非常なる誤りなり」と言葉を残していますが、現在の日本も傾聴すべき言葉です。
「伊藤公」が独立を見限った様な中で、「安重根」がハルピンで伊藤公を暗殺したことで、一挙に「併合」に進んでしまうのですから皮肉な事です。
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