10・(2)統監部時代の外信

10・(2)「統監部時代」の外信の朝鮮報道

1906年(明治39年)「タイムス・ヘラルド」
 〜朝鮮はロシア・中国の間で利己的な関心事と汚職・暴力沙汰にうつつを抜かし、日本人が国の政策を教え込み啓発しても朝鮮人の理解が得られない。朝鮮人は日本人に対して古くから動かし難い、人種的嫌悪感を持っているが、伊藤候には理解をしめし、氏により朝鮮は暗黒時代より光明世界へと導かれ、未開時代から文明世界へ導かれ、悪政から免れ生命財産を保護されつつあり、2年間で2倍の進歩を遂げた。

1907年(明治40年)「タイムス・ヘラルド・ル、タン」
 〜朝鮮人は日本人に伝統的に中華圏外の人種として嫌悪感を持ち続けている。進んで敬意を払う国は中国であるが、現在まで朝鮮人は中国・ロシア・日本をも仕え裏切り続けて自発性がない為に、日本は朝鮮の為、2度の戦争を強いられたがため、自ら統治できない朝鮮の政策に関与し、その計画能力と改革、新しい制度の導入で朝鮮法の成文化、財政の健全化、国家行政の再構築の仕事に朝鮮人は感嘆している。
能力に優れる隣人に飲み込まれる、「朝鮮人の敵は朝鮮人」自身である事を感じるであろう。
 *現在の日本、「日本人の敵は日本人」と言はれる様な、「李朝両班に該当する、反日政治家が多い点が良く似ているのではないでしょうか?

1908年(明治41年)には朝鮮の外交顧問ドームス・スチーブンス。
 〜「朝鮮には独立国家の資格なし、日本の統治がなければロシアの植民地に成る。伊藤統監の統治は朝鮮人にとっては有益で反対はしない。近代法治国家を目指した点が重要である。」と発言し、オークランド朝鮮人に暗殺されています。

1910年(明治43年)に李朝の外交官「李成主」。
 〜「朝鮮は独立国家としての体面は保つことが出来ない。亡国は必至、亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかないだろう。朝鮮民族が豚の環境から脱して、人間としての幸福が受けられる道はそれ以外にない」と言ってるのです。

「韓国教科書」は、この時期の歴史を〜「庶民の社会・経済的地位を向上させ、教育の機会を広げ、官吏選抜制度を整備し、外交的には伸長した国力に、もとずいて領土を拡張し、伸縮性のある外交改革を展開した」。〜と結んでいますが?「統監部」の仕事を、独自でやった様に教えるのは仕方がないとして、領土拡張が何を指すのかは不明。                             〜国内報道は次回に