欧米紙が伝える当時の朝鮮報道

10・欧米通信の「李氏朝鮮」報道及び日本の国内報道

*全文では有りません。抜き取りで記載していますので、一方的に見えるかも判りませんが、当時の記者が同情を含めての記事を抜き出したものです。

1867年(慶応3年)「ノースチャイナ・ヘラルド」
〜仏軍が朝鮮江華島の街を破壊略奪・国家の書物を奪って徹退。(初めて世界に「朝鮮名」が知られたのです)。

1871年(明治4年)「ヘラルド」
〜朝鮮とは中国人が口にする以外、何一つ分からない国。

1872年(明治5年)「タイムス」
〜ロシアによる日本・中国えの侵略計画、その初めにロシア人は朝鮮を手に入れようとしている。
それでもロシアの統治は朝鮮王の野蛮な支配より進歩したものに成るであろう。
王政復古の混乱に或る日本、日本人が朝鮮と話し合いを持とうとした試みを、全て非友好的な横柄な態度であしらった結果、両国関係は益々険悪になった。

1872年(明治5年)「申報」
 〜朝鮮側の宣戦布告書は大言壮語を吐き、まさに雌雄を決しようとの意志が、まざまざと伺える。この紛争を決めるに当たって中国に援軍を求めて来るであろうと云われている。幾ら言葉が勇ましくても、その実行は朝鮮には不可能で有ろう。(現在アメリカも日本を助けますかね?)。

1873年(明治6年)「ル・タン」
 〜朝鮮は野蛮で全てに敵対的である。朝鮮は完全独立を主張し、孤立政策を推し通そうとしているが摂政は情勢をかえり見ず、中国の名のもとに朝鮮を統治、ロシア・中国の領内に住む朝鮮人に対して、自分の家族に戻るように命令を出した。

1873年(明治6年)「ヘラルド」
 〜「洋人侵犯・非戦即和・主和売国・誠我方世子孫」の立て札が県に建てられている。

1894年(明治27年)「独立新聞」
 〜論説の「徐載粥」は「日本は日清戦争に勝利を収めて、朝鮮を清の宗属的地位から解放した恩人で有り西欧侵略に対抗し得る保護者である。
                                           〜「統監部時代」は次回で