18・関東大震災(1)

18・関東大震災朝鮮人虐殺(6,000人)(1)・(2)
 (1)*「朝鮮人虐殺、6,000人説」は、1976年に「朴慶植」の「韓国独立運動の血書」の中で「6千名の虐殺」の数字が定着したものですが、日本の内務省・第一師団・警視庁・赤十字資料や、独立新聞等と比較検証すると大きく数字が異なります。
1923年(大正12年)の起こった大地震での被害状況は、被災340万名・死者91,344名・行方不明13,275名・重症6,513名・軽傷5,560名・全焼381090世帯・半壊91,232世帯で損害額は55億円(前年度国家予算が14億7千万円)ですから厖大な損害です。

関東大震災について、韓国教科書は日本在住同胞が、6,000人虐殺されたとしています。
震災時、左翼運動家の暴動と誤報、北海道のマスコミから伝えられ始めたので、軍は厳戒令を出して報道に乗せられないように警告・保護対策をとりました。当時に状況下、民衆の不安が自警団の結成と成り自警団による殺人が有ったのは事実です。

「韓国教科書」の、6,000名虐殺記載は「朴慶植」の記事までは一致した数字は無く、独立新聞の、「李相協記者」の一週間の調査の、6,661〜6,268名虐殺(根拠なし)、「金健氏」(上海在住・関学出身)の上海からの檄文の中に、3,680名の虐殺の数字が記載されています。

独立グループの「調査報告」で、目視死体の朝鮮人遺体2,861名・警察による殺人577名・騎兵隊による殺人3,100名(根拠なし)・未確認殺人?(意味不明)3,249名、計14,787名等を装飾「虐殺」としていました。

その他、独立新聞社特派員報告として遺体未発見数?(意味不明)3,240人、遺体発見同胞数?1,165名、合計4,405名と、意味不明の数字も出てきます。加えて「欧米委員事務員」?の「朱栄諭」が日本政府に賠償を諭窮するとして、3,655名が殺されたと数字だけを書いた杜撰なものです。

当時の戸口調査で、関東地区の朝鮮人人口は11,907名、、帰郷中の学生が1,200名が居ましたので、震災時の関東地域の朝鮮人は、約10,700名程度と計算できます。地震での朝鮮人の犠牲は0と言う事は有り得ませんので、上記の虐殺記事の根拠は曖昧です。〜続きます