関東大震災(2)

(2)日本内務省資料
「帝国内務省資料」は、東京で警察・第一師団が保護した人数は6,657名・本人申し出1,173名・自警団同行届け出3,173名、神奈川・他県合計で警察・軍が871名・本人申し出180名・自警団同行160名で「合計14,180名」が保護されたことが、公式発表資料として残されていますので、6,000名を虐殺できる人口自体が存在しない事に成ります。
人口調査後の11,907名が、震災後の保護人数の確認で約2,200名が多いのは「不法滞在?」なのかが判りませんが、資料として付記しました。
当時日本の朝鮮人人口は、全国で59,722名、内地への渡航制限徹廃で朝鮮よりの流入者が急増、1922年(大正11年)には80,415名、1923年には118,152名、1924年(大正13年)には、129,870名と朝鮮からの流入が増加、治安の面も合わせて「秋田魁氏」も朝鮮人対策・部落対策に注意を促しています。

大震災後の日本政府の調査で、275名の殺人は自警団767名の調書から確認し、自警団員は逮捕され裁判で有罪判決を受けています。新聞報道では死者を395名と発表していますが、政府報告の方が陸・海軍・警察の保護・調査実数値だけに正しいものと思います。
関東大震災時の日本人死者が、91,344名、行方不明者13,275名の中に、この震災での朝鮮人の犠牲者が一人も計上されて居ないのは判別不能で有るからですが、朝鮮側資料の写真を見ると川を流れる遺体・重なる死者の遺体を全部「朝鮮人」と描いています。