14・朝鮮人口の推移

14・李朝から日本時代の人口推移
 *(昭和国勢総覧)
人口の増減、21代「英祖」の時代の人口は730万人といわれています。100年後の大院君の1850年代は750万人、20万人の増加、1906年には980万人、1920年(大正9年)には1,868万人、1938年(昭和13年)には2,400万人、抑圧・収奪の中では、現状の北朝鮮同様に人口増は停滞しているでしょう。

韓国教科書が言う「日帝時代」の人口増加率を、アジア全体・世界・日本と比較して見ると「悪辣な収奪政策」を強いたにも関わらず、数字で見ると、当時の資料でアジア全体の人口増加率は0,84、世界は0,85、日本は1,24、台湾は1,85、朝鮮は2,09と比率では朝鮮が抜きんでています。収奪が激しいと言う中では有り得ない事なのです

安定した社会でなければ子供を産む気にもなれない。抑圧された中でも子供を作ることは大変な事で、現に北朝鮮は60年前からの人口増は止まり、韓国との大きな差が出てきています。

総督府は安定な環境作りを進め、「新渡戸稲造」が提唱した「植民地運営の最重要な事は衛生の改善」を第一の策として取り入れ、大韓帝国のソウルの医専・附属病院・公済病院・赤十字病院の三院を統合、大韓医院・慈恵医院、医師の養成と疫病防止には大きな力を注ぎ、1918年(大正7年)には、コレラ・ペスト・天然痘は撲滅されています。

新渡戸稲造が、台湾・朝鮮で仕事をして、台湾では評価され、朝鮮では評価される事が無いのは、「李朝」政権が有った国と、未開の台湾統治の間に差が有るのでしょう。
韓国が医療だけの功績を認めても恥ずかしい事ではないと思うのですが、ダメなようですね。
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