4・中世・政治の混乱期

4・中世紀政治の混乱期

貴族政治から武家支配の武家政治が、1180年(治承)ごろから始まったとされます。同時に国内の混乱も加わり、日本の歴史が大陸・朝鮮との大きな違いが出るのも、この時期からです。

世界がまだ国家統一の形がない時代、日本も豪族が国内鎖国支配をやる時代、それぞれが各地を統治してた時代、日本でも「朝廷」自体が権威も落としていた時代でも有りました。

隋・唐は兎も角「北宋」「南宋」時代には殆ど交流は大陸・朝鮮とも途切れて居たのが「元」になり、大陸を平定後は日本に興味を移し、高麗の勧めで元・高麗が日本に来襲、対島で暴虐の限りを尽くした事も日本の教科書では消されています。
それゆえ日本の学校教育では、「元寇」の両国の暴虐の歴史も教えられることも有りません。

朝鮮との交流を663年「白村江」の戦いから、「三国史記」が作られた1145年までの日本の古文書を見ても、「風土記」以降、「日本書記」を除いて朝鮮史は抜け落ちています。
712年(和銅5年)「古事記」・713年(和銅6年)「風土記」・720年(養老4年)「日本書紀」・894年(寛平6年)遣唐使廃止・901年(延喜1年)「日本三代実録」・905年(延喜5年)「古今和歌集」・938年(天慶1年)「土佐日記」・974年(天円2年)「蜻蛉日記」・985年(寛和1年)「往生要集」・1000年(長保2年)「枕草子」・「源氏物語」・1060年(康平3年)「更科日記」、と多くの資料が残る日本ですが、この間の朝鮮自体の史料が見られないのも断絶の歴史の悲劇です。

712年から1145年まで「空白の韓国史」、どんなもので有ったか?新羅末期・勃海・高麗の狭間にある朝鮮半島正史の判断史料は日本・中国の資料に頼らざるを得ません。
古代から中世に移る700年代から1300年代は、世界も大陸政権も朝鮮半島も、多くの国が乱立、年表などから見ると混乱の時代でも有ったと言えます。

朝鮮の場合は「唐」の後押しで「統一新羅」(668~935年)が出来た時代から「唐」に忠誠を誓い、その後も中国歴代王朝に、強弱の差は有っても属国として生きていかなければならない、地勢上の位置にも有ったことは不幸ですが、同じ隣でもベトナムと比較すると、元々「属国願望」が朝鮮には有ったのではないかと思う事が有ります。
   *現在の日本は、その傾向(属国願望)は有るのでしょう。           〜続きます。