16・3・1抗日運動(2)

(2)・総督府の対応、3・1運動後に朝鮮総督府は、施政に危機感を持ち、1920年に総監部調査のアンケートで民心の把握に努めようとしています。内容は下記の通り。
                                                   
3・1運動後の1920年(大正9年)施政に対する感想集計
朝鮮総督府資料)
*(1)・感謝しているもの。
 治安の安定・四民平等・交通・土地所有・裁判の公平・医療機関に〜〜「喜悦している」
*(2)・苦痛としている。
 墓地規制(共同墓地)・火田取締り・税金・管理給与不平等(先生)〜〜「不満で有る」
文化の違いも認識し、日本からの派遣「増額」が、朝鮮人官吏・教員の誤解に成っている事も原因であると、政策を変えていきます。

結果「韓国教科書」でも、1920年代に入り〜「農業振興・青少年教育・女性運動・労働運動・文学・映画・小説・戯曲・随筆が活発となり、文人協会・音楽協会・演劇協会と活発な運動が展開され、近代文化の成長期に入った」と記していますから、朝鮮総督府の朝鮮振興策は成功したものと言えます。加えて教科書には、朝鮮最初の飛行士としての「安昌男」の記事も書いていますが「安氏」について説明します。

「安昌男氏」は朝鮮初の飛行士として、東京から祖国訪問をする計画で、東京の「帝国ホテル」に夫妻が逗留中に「関東大震災」が起こりますが、無事帰国されています。教科書には書かれて居ませんが、「帝国ホテル」滞在中も差別も受けず、特別の人しか逗留出来ないホテルで、飛行士夫妻が宿泊、優遇されて居た事は差別がないと云う証しでも有ります。
関東大震災の時に起こったと言われる朝鮮人虐殺については後日記載します。                         〜光復軍に続きます。